「お、俺と付き合ってくれないかな?」
夕日が校舎を赤く染めていく。
夏も過ぎて秋の日差しはあっという間に落ちていく。
校舎の影は長く校庭に広がる黄昏の時間。
オレンジの光のなかで佇む二人の男女。
完全に、シチュエーションは自分の願ったとおり、完璧だ。
目の前にいる少女は、キョトンとした顔をして俺をじっと見ていた。
そして、すぐに笑顔になって
「ええ、分かりました。いいですよ」
その声を聞いて、俺は今までの自分の努力が脳内を駆け巡った。
そう、俺は、この瞬間を得るために。今まで、たくさんの努力をやってきた。
世の中にある「引き寄せの法則」「幸福になれる法則」なんていうものは片っ端から読んで。
本には付箋を張り付けすぎて厚さが倍になってしまってたものもある。
何度も読み返し。トイレ中、授業の合間、学校から帰る途中の電車の中。
いつもその手の本を読んでいた。
そして、その内容を自分なりにまとめたオリジナルノートは数十冊。
このノートを読めば、全ての引き寄せの法則パターンが理解できる。そんじょそこらの引き寄せ本など足元にも呼ばぬ最強の「引き寄せパーフェクトノートブック」。
さらに、引き寄せを実現するために、イメージを膨らませるためのコラージュを自分で作ったり。
ネットで画像を拾ってきては、自分の願望が実現した様子を再現するためのコラージュをひたすら作り続けた。
豪華なホテルの前に佇む俺。
リゾートホテルのプールサイドに佇む俺。
真っ赤なフェラーリから降りる俺。
自分の部屋には「俺の願望」をわかりやすく、見える形にしたコラージュがいたるところに貼り付け、壁も天井もコラージュだらけ。
幸運のグッズ、というのも買い集めた。
札束のお風呂に美女と入れるらしい(雑誌の写真では)、という水晶の彫り物。
ギャンブルが強くなって、スポーツカーに美女と乗れるようになるらしい神秘の石、ラピスラズリ。
運の良くなる置物も家には多数配置した。
貔貅とか、龍とか、シーサーとか想像上のいきものは揃えるのは当たり前。
お金が帰ってくる、幸せが帰ってくる、という意味も込めてカエルのリアルな置物とか、
中国では白菜を財のシンボルとしている、と聞けば手彫りの水晶白菜を家に置き。
やはり現物も必要だろうと部屋に白菜を並べて配置したこともあった。
そのおかげで、しばらくは白菜料理で日々を過ごしたりもした。
風水の本も買って、十二支を家の各方角に配置もしていた。
水晶で作られたもの、虎目石で作られたもの。お金を呼ぶ黄色水晶で作られたレアものもある。それらを方角に一分の間違いもなく配置して。
家の中心線を割り出し、そこには黄色い置物、そして方角を調べて、そこにシトリンやアメジストなどのクラスターを配置。
ご利益のある神社の御札はとりあえず神棚に揃えて。休日は神社巡り。
伊勢神宮から通販で取り寄せた神棚が自慢。
配置は部屋のなかで一番「場がいい」と霊能者に言われた場所に置いて。
そこには天井までの厚さに御札が山と積まれてたりする。
布団も財運を呼ぶようにと、金色の掛け布団。カーテンも、絨毯も金色。
ゴールデンなイメージの部屋がそこに広がる。
コラージュ用に買ったマッキントッシュが乗っている木のテーブルは、由緒正しい神社の遷宮用に用意されている霊山より切り出した、と言われている檜で作られたものだという。
値段はそれなりにしたけど、なんか未知のエナジーが充満してそうで。
コラージュ作るときも檜の良い香りでリラックスもできていい感じだった。
以前、神棚を置くときに呼んだ霊能者が「このちゃぶ台はいいものですよ」と勧めてくれたので、その場でローンで購入。
確かに、霊能者の言うように、なんかありそうな気配が漂っていている。
気がする。
あらゆる願望実現法を体現したこの部屋。
願望実現マイルーム。
その中に、虹色の光を跳ね返し、輝くような水晶のフォトフレームに入った写真が一枚。
このフォトフレームも、その霊能者のところから購入した、なにやら八角形をしている、願いを叶えるフォトフレームだという代物だ。
その中心にあるのは、ひとりの女の子。
それは学校一の美少女。
山江 かな。
そう、それは、俺の一目惚れの彼女だった。
俺の作ったコラージュには、必ずこの子が居るのだ。
豪邸のとなりでドレスに身を包む彼女。
リゾートホテルで水着の彼女
フェラーリの助手席の彼女。
そして、このフォトフレームに入って居る写真は、校門で俺と並んで立っている姿。
もちろん、これもコラージュだが。
実際、この顔写真も学校の広報に載っていたのをスキャンで取り込んで、PCにソフトを使って切り取っているので、微妙に画像が荒いのではあるが問題ない。
ちゃんとお絵かきソフトで加工すれば気にならないから。
さすがのMacである。画像処理は素晴らしいものがあるものだ。
まるで本当にこういう風景があったようではないか。
いや、この風景は、これから現実のものとなるのだ。
であるのだが。
何か、微妙に 山江 かな の笑顔に違和感を感じてしまった。